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2011年5月

削る

置地廣場さんでも好評の「銀彩ドラ鉢」。

先日成形をして、ちょうど削りごろになったので高台の削り作業をしました。

粘土が生乾きの時に成形した作品を裏返してカンナで高台を削りだしていきます。

カンナは帯鉄と呼ばれる帯状の鉄を曲げてヤスリで削って刃を付けてあります。

カンナ.JPG

自分が使うのは刃がまっすぐなタイプと丸くしたタイプ。

この2つでほとんどの作品の削りをします。

京都での修行時代からずっとこのカンナで作業をしてきました。市販のカンナも使ってみたことはありますが、結局手になじむ事はありませんでした。

シュルシュル〜っとリンゴの皮をむくように気持ちよく削れます。

下の写真が削り前。作品を湿台(しった、しったい)と呼ばれる粘土でできた土台に裏返してのせて、ぶれの無いように中心にすえます。

削り前.JPG

削りが終わるとこんな感じに。

削り後.JPG

できあがり.JPG

カンナは削っているうちにしだいに刃がなまってくるので、時々ヤスリで刃を付け直します。

使い込んでいくと刃の部分はどんどんと細くなってきて最終的にはこんな感じになります。

カンナその後.JPG

銀彩ドラ鉢は側面にも模様が掘り込んであります。

その時に使うのが、やはり自作のこの道具。 道具.JPG

先端の金属部分はビニール傘の骨の部分で、叩いて薄く延ばし針金で竹に固定してあります。

用途に応じて大小使い分けて模様を彫っていきます。

 

これでとりあえず成形と削りは完成です。

後は良く乾燥させて素焼き(800℃)内側に黒い釉薬をかけて本焼き(1250℃)、さらに銀彩を施して再度800℃で銀を焼き付けて完成です。 

本焼き

陶磁器を作成する上で粘土、成形技術、焼成とどれをとっても大切な事物ですが、今日は作品の表情を決定付ける「本焼き」を行ってきました。

どんな窯を使っているかなどは先日のブログで紹介させていただきましたが、今日はその窯に午前6時に火を入れました。

窯内側.JPG

写真は火を入れてからまもなくの様子。

下のオレンジ色になっている穴から炎が出てきます。

まだチョロチョロとかわいい感じの炎です。

今回はお店のお客様からの依頼品や陶芸体験で作成された作品を主に詰めました。

焼成には大まかに分けて「酸化焼成」と「還元焼成」があります。

・酸化焼成ー窯の中に酸素を十分に送り込んで焼成します。

・還元焼成ー窯の中を酸素不足ぎみの状態にして焼成します。

自分はほとんど還元焼成で行っています。

温度が900℃を超えたあたりからいよいよ窯の中を還元雰囲気にするために、バーナーと風量の調整をしていきます。目安は下の写真のように色見穴から炎が噴き出している状態。

還元炎.JPGこの頃になるとチョロチョロとかわいかった炎が、ゴーッという音と共に作品と作品の間を縫うように流れていきます。

色見穴.JPG

自分の場合は最終的に1250℃まで温度を上げるのですが、最高温度近くになると窯の中はオレンジ色から黄白色に近い輝きになります。肉眼で見るのが困難なほど。

上の写真は1230℃くらい。

午後7時に火を落として本焼きを終了しました。

明後日には窯出しができると思います。

 

毎回そうなのですが、炎の洗礼を受けて作品がどのように変化するのか、楽しみでもあり、怖くもあります。

いまさら祈ってもしょうがない・・・けど、良い焼き上がりになってるといいな。

5月の「うたごえ風海」

毎月恒例の行事になっている「うたごえ風海」。

今月も開催しました。

うたごえ2.JPG

アコーディオン、オカリナ、ギター、キーボードと豪華な伴奏で皆さん元気に歌いました。

前回から春・夏の歌集も加わったので、その中からの選曲も多かったようです。

当日は午後から雨が降り出すというあいにくの天気でしたが、20名を超えるお客様が参加してくれました。

次回は6月26日(日)です。

また、開催日時が近づいてきたら、「新着情報」でお知らせします。

日本酒義援金

先日ブログに書いた「東北の地酒を飲んで義援金を送ろう」キャンペーン。

本日集まった義援金を日本赤十字社を通じて被災地に寄付させていただきました。

領収書.jpgのサムネール画像

1杯(1合)当たり¥100を義援金とする計算なので、全てで130杯!ほど飲んでいただいた事になります。

その他にもおつりを寄付してくれたお客様もいました。

ご協力いただいたお客様に感謝いたします。ありがとうございました。

復興に向けての力強い手助けになる事と思います。

風海ではこれからも継続して東北のお酒を仕入れ、季節の食材を用いた酒菜をご用意してお待ちしています。

ご協力宜しくお願いいたします。

二十歳の原点と魯山人

平塚市美術館で開催されている「画家たちの二十歳の原点」と「北大路魯山人展」を見に行ってきました。

お店から車で30分ほどの場所にある美術館です。

 

まずは「開館20周年記念展 画家たちの二十歳の原点」から。

二十歳の原点.jpg

明治、大正、昭和、そして現代までの画家たちの二十歳前後の作品を集め、その当時彼らが何を考え、創作を行っていたのか、そのあたりに焦点を当てた展覧会です。

それぞれの時代ごとに作品がまとめられて展示され、各作家の創作に対する思いが文章としてパネルで張り出されていました。

第一次、第二次世界大戦、戦後の高度経済成長、バブル経済、そしてインターネットやメールが発達して人と人の直接のコミュニケーションが希薄になってきている現代。

その当時を生きた画家が芸術とは何か、自分は何をなすべきでどこに進んでいけばよいのか、など苦悩しつつも書き上げた作品の数々。

先日ブログで紹介したハンス・コパーの言葉「どうやって、の前に何故作るのか」を思い出しました。

自分が二十歳くらいの時、何を考えていたかなぁ、と、ふと思うとこれほど物事を深く考えて行動していたかなぁと感じ、少し恥ずかしい気持ちになりました。

 もっともっといろいろなものを見て、感じて、考えていかなくてはいけないなぁ、とも思いました。

 

そして次は「世田谷美術館 塩田コレクション 北大路魯山人展」。

魯山人.jpg

魯山人といえばご存知の方も多いかと思いますが、陶芸のみならず書や篆刻などまで幅広く芸術活動をした人物です。

美食家でもあった魯山人は高級料亭を開き、自ら器を作成していきます。

今回の展覧会はそのコレクションの中から123点が展示されています。

「器は料理の着物」と語っていた魯山人。今回は実際に料理を盛り付けた写真も展示されていましたがその言葉通り、料理を盛り付けて美しく、かつ料理を引き立てる。そのように感じました。

「自然の美に学べ」という言葉も魯山人が常々語っていたことで、人工美の中にも学ぶべき事は多々ありますが、突き詰めて考えれば人間も自然の一部。どんなに科学技術が発達しても結局は自然の摂理の中で生かされている。やはり、自然の造詣の無駄の無さ、美しさにはかなわないのかなとも思いました。

 

本当であれば魯山人の展示をメインに見に行ったのですが、先に見た「二十歳の原点」のインパクトが強く、画家たちの言葉を完全に咀嚼しきれずに見てしまったため、少々消化不良。

欲張らずに日を改めて見に来れば良かったとチョット後悔しています。

でも、いろいろと考えさせられ刺激になった展覧会でした。

バーベキュー

ゴールデンウィーク最終日の5月8日(日)、お客様と一緒にバーベキューを楽しんできました。

場所は日向ふれあい学習センター

伊勢原駅からバスで30分ほどのところです。

hinata.JPG

当日は天気も良く、絶好のバーベキュー日和でした。

sora.JPG

まずは、お互い初めて会う人たちもいるので、軽く自己紹介などを。

shoukai.JPG

そして、皆さんお待ちかねの・・・。

beer.JPG

乾杯〜!!!

かまどでお米を炊いたり、川で遊んだりと普段なかなか体験できない事ができて、子どもたちは大はしゃぎでした。

kamado.JPG

最後はスイカ割り。

suika.JPG

自然の中で食べ、飲み、遊び、子どもも大人も大満足の一日でした。

ハンス・コパー展

先日、静岡市美術館で開催されている「ハンス・コパー展 -20世紀陶芸の革新ー」を見に行ってきました。

Hans_Coper.jpg

2009年に兵庫陶芸美術館から始まったこの回顧展の最後の巡回会場です。

 

実は昨年の9月にもお店のお客様から招待券をいただいて、この回顧展の巡回会場であったパナソニック電工汐留ミュージアムでコパーの作品に会ってきました。

その時に初めて彼の作品を見たのですが、凛として静謐な姿、そして温かい雰囲気を感じ、もう一度どこかでコパーの作品に会いたいと思っていたら、静岡市美術館で展覧される事を知り、神奈川からは少し離れた場所ですが行ってきました。

 

当日は天気も良く新幹線で行こうかとも考えましたが、各駅停車でゆっくりといってきました。

美術館は静岡駅から歩いて5分ほどのビルの中にあり、2010年5月にオープンしたばかりとあってキレイで明るく開放的な場所です。

白い壁と木の床で構成された展示室は他の邪魔なものを一切排除し、展示物に集中できる空間となっていて、殊にコパーの作品を展示するにはうってつけの場所のように思えました。

 

ハンス・コパーは1920年、ドイツのザクセン州ケムニッツで生まれました。父親がユダヤ人であったため、ナチスの迫害を逃れるために19歳で単身イギリスに亡命します。

終戦後、同じく亡命者であった女性陶芸家ルーシー・リーの工房で働き始め、そこで作陶の技術を身につけます。

めきめきと技術を習得していったコパーはしだいにその才能が世の中に認められるようになり、次から次へと作品を発表していくようになります。

コパーの作品の特徴はロクロで成形したパーツをつなぎ合わせて形を作る「合接」という手法です。そして、色合いもリーの華やかな色使いとは対照的に白、黒、茶色などでまとめられています。

1975年、55歳の時に筋萎縮性側索硬化症という病気と診断され、しだいに手足を自由に動かす事も話す事も困難になっていきました。しかし、それでも動けるうちはロクロに向かい作品を作り続けていきます。

1979年以降は新たな作品を作る事も無く、読書や音楽を聴いたり書き物をしたりしてすごしました。

1980年に最後の作品の焼成を行い、そして2年の間に書きためた文章や自分に関わる資料を全て燃やしてしまいます。

翌年の1981年、6月16日、61歳で自宅で亡くなります。

 

今回、前述した通りコパーの作品に会うのは2回目。

会場の雰囲気はまったく違い、コパーに対する知識も増えましたが、覚えた感覚は一緒でした。

下部が細くなった緊張感のあるフォルムの作品や大きな作品もありましたが、決して見る者を圧倒することなくやわらかい空気で包み込む、そんな感じがしました。

コパーが美術学校で教鞭を執っていた時に生徒に問いかけた言葉「どうやって、の前に何故作るのか」、そして亡くなる前に自分に関わる資料をなぜ全て焼き捨てさせたのか、などなど、しばらくはコパーの思考をたどる時間が増えそうです。

 

展示は2011年6月26日(日)まで行われています。

これほど大々的な回顧展はしばらくの間見ることはできないかも知れません。

 

とにかく遠くまで見に行った甲斐がありました。

良かった。