スタッフブログ
二十歳の原点と魯山人
平塚市美術館で開催されている「画家たちの二十歳の原点」と「北大路魯山人展」を見に行ってきました。
お店から車で30分ほどの場所にある美術館です。
まずは「開館20周年記念展 画家たちの二十歳の原点」から。
明治、大正、昭和、そして現代までの画家たちの二十歳前後の作品を集め、その当時彼らが何を考え、創作を行っていたのか、そのあたりに焦点を当てた展覧会です。
それぞれの時代ごとに作品がまとめられて展示され、各作家の創作に対する思いが文章としてパネルで張り出されていました。
第一次、第二次世界大戦、戦後の高度経済成長、バブル経済、そしてインターネットやメールが発達して人と人の直接のコミュニケーションが希薄になってきている現代。
その当時を生きた画家が芸術とは何か、自分は何をなすべきでどこに進んでいけばよいのか、など苦悩しつつも書き上げた作品の数々。
先日ブログで紹介したハンス・コパーの言葉「どうやって、の前に何故作るのか」を思い出しました。
自分が二十歳くらいの時、何を考えていたかなぁ、と、ふと思うとこれほど物事を深く考えて行動していたかなぁと感じ、少し恥ずかしい気持ちになりました。
もっともっといろいろなものを見て、感じて、考えていかなくてはいけないなぁ、とも思いました。
そして次は「世田谷美術館 塩田コレクション 北大路魯山人展」。
魯山人といえばご存知の方も多いかと思いますが、陶芸のみならず書や篆刻などまで幅広く芸術活動をした人物です。
美食家でもあった魯山人は高級料亭を開き、自ら器を作成していきます。
今回の展覧会はそのコレクションの中から123点が展示されています。
「器は料理の着物」と語っていた魯山人。今回は実際に料理を盛り付けた写真も展示されていましたがその言葉通り、料理を盛り付けて美しく、かつ料理を引き立てる。そのように感じました。
「自然の美に学べ」という言葉も魯山人が常々語っていたことで、人工美の中にも学ぶべき事は多々ありますが、突き詰めて考えれば人間も自然の一部。どんなに科学技術が発達しても結局は自然の摂理の中で生かされている。やはり、自然の造詣の無駄の無さ、美しさにはかなわないのかなとも思いました。
本当であれば魯山人の展示をメインに見に行ったのですが、先に見た「二十歳の原点」のインパクトが強く、画家たちの言葉を完全に咀嚼しきれずに見てしまったため、少々消化不良。
欲張らずに日を改めて見に来れば良かったとチョット後悔しています。
でも、いろいろと考えさせられ刺激になった展覧会でした。
バーベキュー
ゴールデンウィーク最終日の5月8日(日)、お客様と一緒にバーベキューを楽しんできました。
場所は日向ふれあい学習センター。
伊勢原駅からバスで30分ほどのところです。
当日は天気も良く、絶好のバーベキュー日和でした。
まずは、お互い初めて会う人たちもいるので、軽く自己紹介などを。
そして、皆さんお待ちかねの・・・。
乾杯~!!!
かまどでお米を炊いたり、川で遊んだりと普段なかなか体験できない事ができて、子どもたちは大はしゃぎでした。
最後はスイカ割り。
自然の中で食べ、飲み、遊び、子どもも大人も大満足の一日でした。
ハンス・コパー展
先日、静岡市美術館で開催されている「ハンス・コパー展 -20世紀陶芸の革新ー」を見に行ってきました。
2009年に兵庫陶芸美術館から始まったこの回顧展の最後の巡回会場です。
実は昨年の9月にもお店のお客様から招待券をいただいて、この回顧展の巡回会場であったパナソニック電工汐留ミュージアムでコパーの作品に会ってきました。
その時に初めて彼の作品を見たのですが、凛として静謐な姿、そして温かい雰囲気を感じ、もう一度どこかでコパーの作品に会いたいと思っていたら、静岡市美術館で展覧される事を知り、神奈川からは少し離れた場所ですが行ってきました。
当日は天気も良く新幹線で行こうかとも考えましたが、各駅停車でゆっくりといってきました。
美術館は静岡駅から歩いて5分ほどのビルの中にあり、2010年5月にオープンしたばかりとあってキレイで明るく開放的な場所です。
白い壁と木の床で構成された展示室は他の邪魔なものを一切排除し、展示物に集中できる空間となっていて、殊にコパーの作品を展示するにはうってつけの場所のように思えました。
ハンス・コパーは1920年、ドイツのザクセン州ケムニッツで生まれました。父親がユダヤ人であったため、ナチスの迫害を逃れるために19歳で単身イギリスに亡命します。
終戦後、同じく亡命者であった女性陶芸家ルーシー・リーの工房で働き始め、そこで作陶の技術を身につけます。
めきめきと技術を習得していったコパーはしだいにその才能が世の中に認められるようになり、次から次へと作品を発表していくようになります。
コパーの作品の特徴はロクロで成形したパーツをつなぎ合わせて形を作る「合接」という手法です。そして、色合いもリーの華やかな色使いとは対照的に白、黒、茶色などでまとめられています。
1975年、55歳の時に筋萎縮性側索硬化症という病気と診断され、しだいに手足を自由に動かす事も話す事も困難になっていきました。しかし、それでも動けるうちはロクロに向かい作品を作り続けていきます。
1979年以降は新たな作品を作る事も無く、読書や音楽を聴いたり書き物をしたりしてすごしました。
1980年に最後の作品の焼成を行い、そして2年の間に書きためた文章や自分に関わる資料を全て燃やしてしまいます。
翌年の1981年、6月16日、61歳で自宅で亡くなります。
今回、前述した通りコパーの作品に会うのは2回目。
会場の雰囲気はまったく違い、コパーに対する知識も増えましたが、覚えた感覚は一緒でした。
下部が細くなった緊張感のあるフォルムの作品や大きな作品もありましたが、決して見る者を圧倒することなくやわらかい空気で包み込む、そんな感じがしました。
コパーが美術学校で教鞭を執っていた時に生徒に問いかけた言葉「どうやって、の前に何故作るのか」、そして亡くなる前に自分に関わる資料をなぜ全て焼き捨てさせたのか、などなど、しばらくはコパーの思考をたどる時間が増えそうです。
展示は2011年6月26日(日)まで行われています。
これほど大々的な回顧展はしばらくの間見ることはできないかも知れません。
とにかく遠くまで見に行った甲斐がありました。
良かった。
窯焚き
今日は銀彩の焼付けのための窯焚きをしてきました。
自分が使っているのはこの窯。
灯油窯です。
初めて火を入れてからもうすぐ4年になり、外側はだいぶすすけてしまいましたが、今も元気に働いてくれています。
電気窯のようにコンピュータ制御で温度を上げることができないので、窯焚きの間は窯に付きっ切りです。
自宅近くのお知り合いの方の庭に物置小屋を建てて置かせてもらっています。
物置のシャッターを開けると吹きさらしの状態なので冬はかなり寒いです。夏は夏で窯自体が熱源になり、おまけに真夏の太陽の光・・・かなり暑いです。
今ぐらいの季節が暑くも寒くも無く窯焚きには良い季節。
今日は比較的天気が良かったので窯の様子を見ながら、晴れた空を眺めたり、本を読んだりしながらすごしました。
でも、風が少し冷たかったので七輪に豆炭で火をおこしました。
真冬の寒い時期はこの七輪が大活躍。
お湯を沸かしてカップラーメンを食べたり、あたたかい飲み物を飲んだりして暖を取っています。
窯もだんだんと温度が上がってくると中はこんな感じになります。
温度は700℃ちょっと。
最終的には800℃まで上げました。
写真に写っているのは銀彩ドラ鉢です。
後は窯出しを待つばかりです。
良い焼き上がりになっていますように。
商品納品しました。
先日、陶芸作品の展示販売をさせていただいているイオン秦野店2F、和雑貨のお店「置地廣場」さんに商品を納品してきました。
画像をクリックすると拡大表示できます。
今回納品してきたのは・・・
黒化粧重ね塗り湯呑
赤土という鉄分を多く含んだ粘土で本体を作り、その上に黒化粧と呼ばれる焼くと黒く発色する泥を重ね塗りしました。
その上に白と緑の釉薬をかけて焼き上げました。
幾何学的な文様の作品に仕上がりました。
こちらの作品は以前にも納品したのですが、購入してくださるお客様が多く、品切れ状態になっていたものです。
そして、次は黒化粧重ね塗り飯碗
作成方法はお湯呑と同じです。
湯呑が好評だったので飯碗も作ってみました。
飯碗は今回始めての納品となります。
波紋フリーカップ
半磁器土と呼ばれる磁器土と陶土の中間の性質を持つ粘土で作りました。
内側だけ釉薬をかけ外側は土そのものの表情を残しました。
不純物の少ない粘土なのでスッキリとした白に仕上がりました。
こちらの商品も品切れ状態でしたがやっと納品する事ができました。
これらの商品以外にも明日、銀彩の焼付け焼成を行う予定なのでご好評をいただいている銀彩ドラ鉢と黒銀彩片口も今週末には店頭に並ぶ事と思います。
陶器以外にもお箸や手ぬぐいなどのかわいらしい和雑貨も扱っているお店なので、是非のぞいてみてください。
東日本大震災
大震災の発生から2週間が経ちました。
この間、何かメッセージを発したいとは思っていましたが、毎日テレビに映し出される映像や新聞の記事を見ると、なんと書いて良いのか言葉が見つかりませんでした。
被災された皆さま、救援活動を続ける皆さま、その他関係者の皆さまの一生懸命な姿を見ると涙を禁じえません。
このたびの大震災で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
そして、どうか被災地の一刻も早い復興をお祈り申し上げます。
4月がもう近くまで来ているというのに連日寒い日が続いています。
不自由な避難生活を強いられている方もたくさんいます。
お体をご自愛なさって復興に向けて歩み続けてほしいと思います。
われわれは被災地から遠く離れた場所にいますが、同じ空の下に住んでいる人間として、できる限りの支援をしていきます。
風海スタッフ一同









